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日野大坂上
日野駅を抜けると大坂を登るのですが、暑い日にはとてもこたえる坂道。
木陰もなく、600mで30mの高さを登ってゆきます。三宅坂が1200mで30mですから
その倍の勾配だと思ってください。左に日野大坂上三丁目アパートが続く頃には
その坂も一息付けます。この辺りは甲州街道が日野の渡しに変更された頃新田開発で
耕作地となりましたが、それ以前は原野で、よく夜盗が出没した物騒な場所だった
ようです。また高台であることから烽火台に使われ、
飛ぶ火野から日野の地名は起こった
とも言われています。日野大坂上の交差点で国道20号と合流し上り坂は終わります。
日中戦争の頃から日野は工場の誘致を進め日野五社と呼ばれる大きな工場が
この周辺で操業を始めました。中でも
日野自動車は725m甲州街道に面して、
その大きさには圧倒されます。その中には市の史跡である
上人塚があります。
これは斎藤道三の家臣佐藤隼人が、この辺りに来て夜盗から百姓達を守り
名主に推薦されたとき、佐藤家の由緒を作り、その一通を幕府に、もう一通を
この上人塚に納めたとと伝えられています。
41kmポストを過ぎると、今度は
コニカ・ミノルタが400m続きます。これは旧小西六写真工業で中にはやはり富士塚
という名所があります。富士山の見える高台に築かれた富士の形をした塚に登れば
富士山に登ったことと同じとされ、富士に登れなかった女性や、身体の弱い人たちの
信仰を集めました。上人塚とともに、入口の守衛所で訪ねれば見学も出来たかと
思われたのですが、本陣で時間を使ってしまった我々は先を急ぐことにしました。
コニカ・ミノルタ工場の外れから八王子市に入ります。ここから八高線の跨線橋までは
1kmあり、国道沿いの郊外と言うこともあり、大きなレストランだ数多く並びます。
サイゼリア、リンガーハット、藍屋、ジョナサンと続き、紳士服のアオキとタイヤ館が
出てきたらその下が
JR八高線です。右に550m行けば北八王子駅、左が八王子方面。
ここから大坂で登った多摩平も終了し、八王子盆地へ向け下り坂になります。
下りに入ると立て続けに太い道を二本横切ります。最初が都道155号の町田平山八王子線で
その交差点は
石川入口。角には赤い長い塀を持つ料理屋、とうふ屋うかいが目立ちます。
昭和39年奥高尾で創業したうかいは、その版図を田園都市線沿線まで拡げる成長ぶりを見せてます。
もちろん、時間が許せば、こんな素敵な店で昼食としたかったのですが時刻も合いません。
更に坂を下りましょう。高架の上は国道16号の大和田町4の交差点を通過します。
ここでは是非左側を歩いてきてください。交差点を渡りきって66mで左に入る
旧道
あります。この辺りで唯一残った旧甲州街道です。右の写真、焼き鳥いろはと
ホンムラ光研の間を入って行きます。
旧道の長さは360m。やはり街道歩きは旧道に限ると思わせるような静かな道。
内田米店の前では、おばあちゃんが孫にアイスモナカを食べさせている風景。
そしてちょっとした用水路もあり滝坂以来の
旧街道を楽しみました。

旧道はあっという間に終わり、出たところは国道20号が浅川を渡る大和田橋
この橋にも名物があり、それは橋のたもとに案内板で紹介されています。

  
  焼夷弾・弾痕の保存について

  八王子市は太平洋戦争終結の13日前、昭和20年8月2日未明に、米空軍のB29爆撃機  
 180機の空襲を受け、約450名が死没、2000余名が負傷し、旧市街の約80%の家屋が
 消失する被害を受けました。そのとき多くの市民が大和田橋の下に避難し、尊い命が
 助かりました。
  大和田橋の歩道上には、この空襲の時投下された焼夷弾の跡が17箇所残っています。
 車道の部分は過去の補修により、弾痕は残っていませんが、現在歩道上に残っている
 弾痕の数から推測すると橋全体では約50個以上の焼夷弾が投下されたと思われます。
 建設省相武国道工事事務所では、この大和田橋の補修j工事にあたり焼夷弾の弾痕を
 保存し太平洋戦争の痕跡を永く後世に伝えるものです。
  弾痕の保存については、上下歩道上各1箇所は透明板で覆い、他15箇所は色タイルで
 その位置を示してあります。
                                  平成9年10月
                                      建設省関東地方建設局
                                      相武国道工事事務所
 

 空襲警報が出されたのが8月1日の20時55分。23時頃になって今夜の空襲は川崎方面との
情報に一旦は避難していた市民が自宅に戻ったのもつかの間、2日0時頃から市の外周地区への
爆撃が市の中心を囲むように、市民が逃げられないように始まり、2時間で1600トンの
焼夷弾を落としました。同じ頃広島県の呉市を襲った空襲では16万454発で1081トンということ
から八王子の1600トンでは約24万発ということになります。大和田橋の上だけで50発とは
随分多いと感じましたが、実は市内全域ではとんでもないことになっていたのです。

 
悲しい話の後は、ほほえましい話です。
そんな大和田橋のたもとにホテルニューグランドの結婚式場グランドビクトリアがあります。
ヨーロッパ風の建物でちょっと目を引くのですが、今日は特別でした。よく見ると
今まさに結婚式を終えた新郎新婦が友人達の
ライスシャワーを浴びんとしているではないでしょうか。
時間も惜しまず、その新郎新婦の門出を祝福したく、我々も橋の上で待ちかまえました。
周りを見ると、通行人の人たちも慣れたもので欄干に寄りかかりながら教会のドアが開くのを
待っています。数分後彼ら達は現れ友人の祝福を受けました。
今日は
2006年6月17日、14時34分に教会から現れた新婚さん、是非このサイトを
ご覧になられたら、メールを下さい。顔までよく分かる素敵な写真をプレゼントいたします。