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神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん

と狂歌師の大田蜀山人に詠まれた天神様は、菅原道真が太宰府に流され
三年後にその死を伝えられた三男の道武が、父道真の像を刻みここに祀った。
しかし、その出来が今ひとつ良くなかったため谷保天(
野暮天)と呼ばれるようになった。

天満宮は全国に数有り、亀戸・北野・防府・太宰府とみな菅原道真を祀ったものです。
道真が亡くなった後、平安京では雷などの天変が相次ぎ、道真の怒りと考えられ
道真の神号である
天満大自在天神から天満宮、天神さまと呼ばれ祀ることにより
この怒りを静めようと考えました。天満宮によくある
座牛は、道真の亡骸を
乗せた牛車の牛が悲しみの余り動かなくなり、その地に埋葬したことから始まりました。
また、道真は生前優れた学者であったことから学問の神様として受験生の信仰を集めています。
この谷保天神にも、もの凄い数の受験
絵馬が奉納されていました。

甲州街道から谷保天満宮に入るには、階段を下って回り込むように拝殿へ向かいます。
この参道はちょっと変ですが、これは元々甲州古街道がハケ下を通っていて、それに合わせた
造りになっているからです。つまり古街道からの参拝用に社殿が配置されているため、甲州街道
からの参拝は少し遠回りとなります。その社殿のあるハケ下には
常盤の清水が今でも清らかな
湧き水を供給しています。ついぞ枯れたことが無いと言われるこの清水は、

とことはに 湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり

と延宝年間、筑紫の僧某がここを訪れたとき詠みその名が付きました。
昔は付近の人々の井戸として使われた泉は、今でも豊富な水量を誇ります。

参道から入り、拝殿、厳島神社、常盤の清水と周り、そのまま小径を国道へ戻りましょう。
道路の反対側に、こんもりとした木々が見えます。下には
清水の茶屋跡の標示があって
小さな湧き水が水路を作っています。この水路で流しそうめんをさらしたと書いてありました。
少し進んで左側には
谷保案内の案内板があります。塀の上にちょこんと乗った小さな
案内板なので、見落とす危険性があります。谷保案内とは江戸時代の文人遠藤由晴が
著した上下二巻からなる七五調で綴った寺子屋で重用された教科書です。
内容は当時の谷保村の様子や人倫の道などが生き生きと描かれています。
ここから
1.2km程は、退屈な国道歩きが続きますが、沿道の家の中を覗いて驚きました。
なんと
つるべ付きの井戸が有るではないですか、さすがハケの水が豊富な土地です。
国道沿い左側に三度
常夜燈があったら、左へ曲がり寄り道をしましょう。
南養寺は信号矢川駅入口手前、150mもの参道を持つ古刹です。
この寺は臨済宗建長寺派で、開山は鎌倉時代と古いものですが、それより
遙かに古い遺跡で有名です。右の建物、寺の庫裡を昭和57年に改修した際
縄文時代の敷石住居跡が発見されました。敷石住居は縄文中期末から
後期にかけて中部地方から関東西部に良き見られ屋内の祭祀の場とする
考えもあります。この南養寺のように原型を留めたものは非常に貴重といわれます。
国道20号の交通量の多い通りの下に、こんなに澄んだ水量豊富な小川が流れているなんて
誰が信じられるでしょうか。矢川駅入口交差点から145m、
あゆみ保育園の看板下にそれは
ありました。全く濁りが無くわさびでも栽培できそうな清らかな流れ、
矢川は奇跡です。
五智如来は、矢川のほとり国道を挟んで反対側の右側にあります。残念ながら
交通量の多い国道を渡ることができず、対岸からのお詣りです。右側に
VOLVO
ディーラーを見て青柳の信号を過ぎると
青柳福祉センター前の信号があります。
ここには
地蔵堂があり、その手前に右の写真のような黒い小さな倉庫が見つかります。
これは
おわんこ倉といって、祭事で大勢の人寄せを行うときに使う漆器類を保管する
倉庫です。昔、村では一軒一軒で多くの漆器類を所有せず、共同で使用していたといいます。
何処でもみられた制度ですが、こうして現物が残っているのは珍しいと言えるでしょう。
今はどうなっているか興味合って中を覗いてみたら、埃を被った箱が散乱し使われて
いる様子は有りませんでした。自宅での人寄せもない時代では、その役目も終わりです。
元青柳村の常夜燈は、おわんこ倉のすぐ隣、立派な案内板があるので見落とすことは
ありません。これも
秋葉大権現常夜燈で、火伏せの神を祀った秋葉神社に因みます。
この辺りの村々では油屋のそばに設置したと有ります。昭和の初期までこの常夜燈には
村の人々が当番で毎夜一本づつローソクをともしたと案内板には紹介されています。
一直線に伸びていた国道も
立川市の標識をみる頃には終わりを告げます。
左側に離れていたハケも近づき、左側に緑が見えてきたら日野橋ももうすぐです。
日野橋の直前200m続く緑の森の下には至誠学舎があります。中を覗いてみると
東屋に石碑や案内板が掲げてあったのでお邪魔してみました。明治45年、製菓業を営む
稲永久一郎は神田岩本町で恵まれない少年の訓育を始めたと有ります。
現在も児童養護施設、保育園、老人ホームとその福祉の手は広く豊かな緑の中に展開してます。
至誠学舎の記念館を過ぎると、日野橋交差点に到着です。
ここで国道は4本の道に分かれます。
国道20号は緑の道で、左折して日野橋を渡ります。
青い道は
新奥多摩街道左斜め前方へと進みます。
黄色い道は右折して立川駅へと向かう
立川通り
旧甲州街道
は赤い道奥多摩街道へと入って行きます。
うっかり国道を進まないよう気を付けてください。