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| 仙川三差路手前のマンションより高い木があった場所が給田(きゅうでん)という地名で、 今度は飛田給(とびたきゅう)ときた。どうにも変な地名なので調べてみたら分かりました。 荘園の領主から民衆に田を任されることを給田地と呼び、この辺りの領主が飛田という人で その人から任されたから飛田給田地、すなわち飛田給となったのです。 そんな飛田給の駅はグッドデザイン賞を受けた素敵な駅舎、平日は静かな駅ですが 休日ともなればJリーガーが味の素スタジアムめざし大勢押し掛ける賑やかな駅となります。 |
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| 駅入口の交差点から50m進むとセブンイレブンがある小さな交差点があります。 この交差点は甲州街道と大山街道の交差点で、そこには小さな行人塚があります。 この塚は伊達藩士にして医師だった意仙が薬師如来に帰依し、諸国遍歴の末 この地にとどまり薬師如来像を造り、大願成就の後ここに自ら墓穴を掘り村人に 自分の叩く鉦の音がしなくなったら、我が命のつきたときといって入定しました。 右側のお堂には石造瑠璃光薬師如来立像といって意仙が自ら造った像が安置されています。 |
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| 進んで850m車返団地入口交差点には、観音院と神明社が並んであります。 この辺りで見かけた塀は御影石でできており、鏡のように人が写って見えます。 長いこと東海道や中山道を歩いてきたパパですが、御影石でできた塀は初めて。 それも寺院ではなく普通の家の塀で同じような家が数軒あり驚きました。 |
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| 武蔵境駅を出発した西武多摩川線は、旧甲州街道と平面交差、その昔は多摩川の砂利を 運搬する目的で営業が始まったと言われます。営業距離は8kmしかないローカル線ですが 多摩川競艇・多磨霊園、最近では味の素スタジアム・東京外語大・警察学校のお客さんを運び 活況を呈しています。甲州街道から右武蔵境方面を撮ったこの写真は、家の間をギリギリに やって来る単線のワンマンカーがよく捉えられています。街道の左側はすぐ白糸台駅です。 |
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街道歩きでは、中山道のランエボ以来、なかなか 車は掲載しないのですが、立て続けに現れた この2台は写さずにはいられませんでした。 左は白糸台のガソリンスタンドに停めてあった 往年の名車いすゞベレットです。 このモデルは昭和41年(1966)に発表された ベレット(B)タイプで角形ヘッドランプが目印です。 今年でちょうど40年経つ車ですが、こんなに ピカピカな状態で驚きました。 車の写真を撮って良いか近くにいたオーナー に目配せすると、にっこり笑って ウインクで返してくれました。オーナーも 白髪の素敵な方でした。 |
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| 一方、右の車は歩いている我々を軽快に追い越し ていった妙な車。一人乗りのオープンカーで小型 特殊の青ナンバーが着いていました。この車は 富山の光岡自動車が発売した50ccミニカー組み立て キットのK-2です。既に発売は終了したモデルですが、 市場ではまだ人気でオークションにも なかなか出てこないマニア溜飲の一品。 良いものを続けて見せていただけました。 |
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| 白糸台1の交差点を過ぎると右側に常久八幡神社があるます。新編武蔵風土記稿によれば、 領主に常久なる人物がいて多摩川の近くに名田を持つ村落があったが、度重なる洪水を避け この地に住むようになったとあります。社殿は街道から80mも奥にあり小さな森が取り囲みます。 左側にある開田商店の脇を入り155m先の品川街道を右に行くと常久一里塚があります。 |
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| 境内にあったベンチはおじさん達に格好の休憩場所。しかし座ろうと思ったら、そこには 東鳩バタークッキーがあるではありませんか!何でこんな所にと考えていると元気な 子供達が現れました。ここでサッカーをして遊んでいたところ、ボールが木の枝に乗ってしまい とれなくなって困っているところでした。ボールを取ってあげると、なんとバタークッキーを くれるではないですか、今時の子供も捨てた物じゃないと、喜んでいただきました。 |
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| 参道を線路に分断されてしまいましたが、この奥には聖武天皇が一国一社の八幡宮として 創建した武蔵国府八幡宮があります。そのためこの辺りの地名は八幡宿と呼ばれていますが 宿場町ではなく農業を主とした小さな村落でした。後に六所宮(大國魂神社)の社領となり 六所宮八幡宿という村になったと、入口にある碑文は語っています。 |
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