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左側にあった面白い木は、ヤマケイプレコン株式会社の建物に抱かれたケヤキ
黄色い建物にマッチしたこのモニュメントのような建て方に感服しました。
ここで、今度は右側を歩きましょう。給田の交差点を過ぎ、電柱に給田3-29とあったら
その前に右の写真の石碑が見つかるでしょう。これが
新一里塚跡の碑です。
これは明治3年に内藤新宿を起点とし甲州街道に建てられた新しい一里塚で
正面には「内藤新宿より三里 品川県」とあります。

進んで、給田三丁目の信号の向こうに見えてきたのが千歳烏山西ガーデンハウスの前に
そびえるマンションより高い
ケヤキの巨木。ここから街道は大川橋に向かって下り坂。
小さな橋を渡れば、右から国道20号が合流してきます。そこが
仙川三差路
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仙川一里塚跡は、何処にあるのだろうとキョロキョロしていたら、コンビニの前に見つけました。
この交差点は
仙川駅入口、左に100m行けば駅です。その右側にあるセブンイレブンの前に
立派な石碑が有りました。昔この交差点は甲州街道と
三鷹街道の交差点だったと
その碑は語ってくれました。今でも土地の人はこの辺りを塚と呼んでいます。
この一里塚は日本橋から五里の一里塚で、手前は上北沢一里塚、次が小島一里塚です。
一里塚の少し先には、とても東京とは思えない素敵な民家があります。広い庭にぽつりと建つ
その家は、おそらく明治時代のものか、もしかしたら茅葺きを葺き替えた家かも知れません。
並びでは地の野菜や果物を売る場所があり、おばあちゃんが一人店を守っていました。
甲州街道の右側を歩いて行くと、道の反対側に現れるのがキューピー仙川工場です。
キューピーはオープンキッチンと名付けた工場見学を、茨城県五霞工場、愛知県挙母工場
兵庫県伊丹工場、佐賀県鳥栖工場、そしてここ仙川工場で行っています。
見学は電話予約が必要なので(03)3300-1111へ問い合わせてみましょう。
我々が気になったのは、工場正門に立つ
キューピー人形の時計
きっとからくり時計じゃないかと、12時ちょうどになるのを見守っていましたが、何も起こらず。
後日、工場に問い合わせてみたら、逆に普段は回っていて、この日はたまたま止まっていたとか。
工場のはずれの仙川二丁目交差点を過ぎると、甲府115kmの道路標識が見えます。
そこで、右に入る小径を見つけてください。入口の右側に
瀧坂旧道の石碑を発見したら
大正解。これがこの辺りでは唯一残る旧甲州街道です。この石碑のある家は昭和の初めまで
馬方や行商人を相手にした宿屋をやっていました。この
川口屋の位置は、街道より少し
高くなっていますが、そのレベルが昔の道のレベルで、かなり急な坂だったことが窺えます。
車が通るようになり、この瀧坂も切り下げられたと言うわけです。多摩ボデーの裏を過ぎると
坂は急な下りになり、左側に
薬師如来が蓮華の上で旅の安全を見守ってくれます。
瀧坂は、ライオンズガーデンつつじヶ丘前で元の国道へ合流して行きますが、
その合流地点の道路反対側にあるのが
寛政十二年の庚申塔。ここで国道を横断するのは
非常に危険なので120m先の滝坂下歩道橋を渡って戻る方が良いでしょう。
交差点滝坂下の先右側には、調布市天然記念物
金子のイチョウが有ります。
枝をすっかり刈られすっきりした銀杏が街道からも望めますが、その説明看板は
駐車場の奥にあり、ちょっと見過ごす危険性があるので、ここでご紹介しましょう。


 市天然記念物

  金子のイチョウ
 所在 西つつじヶ丘二丁目十六番山岡家
 指定 昭和五十六年三月十日

  
稲荷社前の一対のイチョウは、目通り幹囲四.〇九bと一.九七bで、
 太い方が雄木 細い方の雌木が実をつける。
  山岡家(屋号は鹿島屋)に伝わる古文書によると、この稲荷大明神は
 寛延元年(一七四八)に鹿島平兵衛が、京都の伏見稲荷に勧請した
 ものである。古文書の箱書に「武州玉郡金子村己巳正月十八日 鹿島
 平兵衛」とある。イチョウもそのとき植えたといい伝えられており、樹齢は 
 約二五〇年と推定される。
  古くから親しまれた甲州街道沿いの金子村の名を、この地で育った
 イチョウの巨木に託し、”金子のイチョウ”と名付けた。
   平成六年三月三十日
                              調布市教育委員会

 

つつじヶ丘交番前の信号を20m過ぎると、マンションの間に細長い参道があり、その奥に
朱色の山門が見えます。100m程ある参道ですが、是非寄ってみましょう。山門には葵の御紋が
有り、徳川家との由来を感じさせます。事実、
徳川家光が鷹狩りの途中、当時寺の裏手にあった
五本松という大老松に巣作りした鴻を見て驚き此の寺に休憩したとき朱印を寄せたものです。
また、境内にある
閻魔十大王は、源頼朝の祈願によるもので、現在も川越から鎌倉街道に
でる道に十王街道の名が残っています。そもそもこの寺を開いたのは、明庵千光国師栄西禅師と
言う宋より茶の種を持ち帰り宇治に広めた僧で、
義経・弁慶が奥羽に落ちるときも寄ったと言われます。
義経に思いをはせながら、並木道を460m進んで行くと、菊野台交番前の交差点に出ます。
交番の並びには鉄塔があり、その下には庚申塔があります。その隣にパソコンショップ
PCDEPOT調布店、ワンダーシティナムコと続きますが、間にひっそりと立つのは
妙円地蔵です。
これは調布市の指定郷土資料で、地蔵菩薩立像というのが正式名称です。
若くして金子村に嫁いだ妙円は、不遇の人で夫に先立たれたうえ両目を失明してしまい、
尼僧となり村人のために毎日路傍で鉦を叩き、念仏を唱え続けたといわれます。
村人からの浄財をもとにこの地蔵菩薩を建てたのは文化二年(1805)。
その後もこの菩薩の前で祈り続け村人に加持祈祷を行ってきました。
この話に感動した
滝沢馬琴は玄同放言の中で紹介し、渡辺崋山もこの菩薩を描きました。
妙円の墓は深大寺にあり、そのとき叩いた鉦も調布市郷土博物館に保存されています。
調布自動車学校のから柴崎駅前を通過すると670mで野川に架かる馬橋を渡ります。
ここからは布田五宿の一つである国領宿になります。国道20号ともまたしばらくお別れ。
調布警察署前から、旧甲州街道へと入って行きましょう。