甲州道中(甲州街道)〜内藤新宿〜

甲州道中 地図 内藤新宿
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 史跡
 
玉川上水水番所跡
  
玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から
 江戸市内へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
 水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を
 行い水質を保持した。当時水番所構内には次のような高札が立っていた。
     定
 一、此上水道において魚を取水をあび ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
   竝両側三間通に在来候並木草下 其外草刈取申間敷候事 右之通相背輩あらば
   可為曲事者也           元文四巳未年十二月       奉行



 
東京都指定有形文化財(古文書)
  
水道碑記                     指定昭和五年十二月
  
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。
 上部の篆字は徳川家達、撰文は胆付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので
 表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。
 碑の表面には明治十八年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が
 死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(1895)完成したもの
 である。(裏面銘文)



  
四谷大木戸跡碑
  
四谷大木戸碑(この説明版の裏側にある)は、昭和三十四年十一月地下鉄丸の内線の
 工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。
 実際の大木戸の位置は、ここより約八〇メートル東の四谷四丁目交差点のところで、
 東京都指定旧跡に指定されている。
 平成九年三月

                               
新宿区教育委員会

美味しいカレーパンを持って新宿御苑へと足を運ぶと、四谷4丁目の交差点です。
ここは外苑西通りと新宿通りの交差点、と言っても実は五差路になっています。
国道20号は、トンネルで新宿御苑の下へ潜り込んでしまい、旧甲州街道は斜め右方向の
地上を進むわけですが、その交差点には寄って行きたい
四谷大木戸跡が有るので
ちょっと大変。新宿通りの左を歩いてきた人青い線に沿って中央の大木戸へ、
右側を歩いてきた人は、黄色い線に沿って行きましょう。大木戸はどちらから
歩いてきても、横断歩道を2回渡ったY字の真ん中にあります。
そんなに苦労して碑を見ると、なんと大木戸は、この交差点の真ん中に有ったのでした。

江戸の水道は、この玉川上水を使っていました。承応二年(1653)の4月4日に工事を開始し
11月15日に出来上がったという超スピード工事で羽村から、この大木戸の43kmを完成しました。
ここからは、水道管(石樋・木樋)で市内に入り、市民は何と井戸からこの水を汲み上げて
いたのです。時代劇での江戸風景には井戸から水を汲み上げていますが、江戸市内では
海水位により普通に井戸を掘ったのでは、海水が混ざってしまい飲料にはなりません。
だから、テレビに出てくるあの井戸は、
実は水道だったというから驚きです。
明治にはいると、玉川上水は淀橋浄水場で処理されるようになり、その浄水場の跡地が
現代の新宿副都心となっています。
東京23区の水道料金は1806円(家庭用10m3当たり)
全国平均が2229円、高いところでは新潟の5376円、安いのは山梨県河口湖南の335円。
東京が全国平均より安いのは、この淀橋浄水場跡地の賃貸料収入が多いのかも知れません。

四谷大木戸跡碑から区民センター沿いに100m進み、新宿1丁目の交差点で左へ目を
やるとこの風景、新宿御苑の大木戸門です。御苑は今年(2006)100周年を迎えました。
徳川家康が江戸に入った翌年の天正19年(1591)、家臣の内藤清成が江戸城西門警護のため
この地に屋敷の土地を拝領したのが、新宿御苑の始まりです。明治になると御苑は
農業技術試験場として34年間活躍し、明治39年(1906)、5年の月日をかけ改造し
日本唯一の大庭園として生まれ変わりました。しかし、国民への一般公開は
昭和24年(1949)まで待たねばなりませんでした。
日本庭園の上の池からは、まるでマンハッタンへ来たのではないかと思わせる
光景が広がります。このビルは代々木駅前の
ドコモビルで、正式名称は
NTTドコモ代々木ビルと言います。高さが240mもあり、都庁に次いで、都内では
2番目の高さを誇っています。しかし内部は通信機とサーバーに埋め尽くされた
FOMAの為のサーバービルで一般の人は入ることが出来ません。
カレーパンを食べ終わったら、再び新宿通へ戻りましょう。この辺りは二丁目、裏新宿と
呼ばれ、その象徴であった
ラシントンパレスも、工事用の塀で封鎖され、取り壊されるのも
間近のようです。丸いスカイジムは、その筋の人が集まる有名なサウナでしたね。
二丁目と三丁目の真ん中の路地を右に60m入ると末廣亭があります。
ここは都内に四軒有る落語定席の一つで明治30年(1897)創業しました。
最初は堀江亭でしたが、浪曲師の末廣亭清風という人が買収し、末廣亭となり
浪花節の定席となりました。落語中心の寄席となったのは昭和に入ってからでした。
今日は、ゆっくり落語を楽しむ時間もなかったので、小遊三さんの幟の前を素通りです。
末廣亭の隣にある、ビフテキ家あづまが我々の目的地。今日の昼食はここです。
終戦直後、焼け野原だった新宿にこの店がオープンしたのは昭和21年というから驚きです。
ビフテキ家という名前の通り、ステーキがメインの洋食屋さんですが、我々の注文は
ランチ定食、ハンバーグにショウガ焼きにエビフライ、スパゲティと洋食の定番てんこ盛りです。
末廣亭から新宿通りに戻り60mの新宿3丁目の交差点が追分けです。
正面、右手に伊勢丹が現れたら左折します。そのまま真っ直ぐ進む道が
青梅街道
左折するのが甲州街道です。追分けの名前は、追分交番や追分け団子に残るのみ
ここが大きな街道の分岐点だった面影はありません。時間のある人は、青梅街道へ
進むと、新宿東口の賑やかな街へ入って買い物や、グルメが楽しめます。
甲州街道へ左折したら、90mで
新宿4丁目の交差点です。車の通りが多い大きな
道路が国道20号で、右へと曲がり新宿駅南口を目指しましょう。左は四谷四丁目で
分かれていったトンネルの道が出てきます。国道20号を200m行くとこの写真の場所
新宿駅南口、フラッグス前です。ルミネ前やアルタ前に比べ少し人が少ないので
待ち合わせするには良い場所です。JR新宿駅南口の改札前を人をかき分けて
通過し、西新宿一丁目の交差点を渡れば、人も少なくなり歩きやすくなります。
中山道はもちろん、東海道でもこんなに人が多く歩くのに難儀する通りはありません。
新宿駅南口から900m甲州街道を進むと、頭上に覆い被さるような高速道路が現れます。
首都高4号線は、甲州からやって来たこの先初台で、代々木方面に折れますが、新宿副都心への
出入り口が、この頭上の道です。この辺りからは東京で一番高い都庁のビルも望めます。
ちょっと寄り道して、副都心を楽しんでみてください。



副都心も、パークタワーを過ぎ、NTT本社ビルを後にすると東京オペラシティにやって来ます。
高さ234m、地上54階は副都心で3番目の高さになります。オペラシティは地上4階までで、
その上はオフィスフロアになっており、
アップルコンピュータが入居していることで有名です。
この写真は新国立劇場を前面にオペラシティ、NTT本社ビル、新宿パークタワーと続く
新宿ならではの風景、この辺りまで来ると、ほとんど人通りも途絶え静かな歩きが楽しめます。
新国立劇場を見たら、国道を渡って左側を
歩いてください。720m程歩くと写真のような
小さなお堂が現れます。


 
 子育て地蔵尊
    渋谷区幡ヶ谷一丁目1番地

  地蔵信仰は古くから行われていますが、地蔵は
 苦難のときに身代わりに現れるとか、冥界(みょう
 かい)と現実界との境にあって死後救ってくれる
 とか、子供の安全を守ってくれるとか、いろいろ
 考えられていました。
  この地蔵は子育て地蔵と呼ばれており、この辺り
 の低地は昔から地蔵窪といっています。
  この地蔵は江戸時代の貞享三年(1686)の造立
 で、もとはすぐ前にお堂がありましたが、甲州街道
 の道幅を拡げるとき、ここにあった大ケヤキの
 あとに移され、大勢の人々の浄財によって立派な
 お堂が作られました。
                  渋谷区教育委員会

京王線幡ヶ谷駅を過ぎ、笹塚の交差点手前に
有るのが牛窪地蔵です。子育て地蔵と同じく
コンクリートで造られた洒落た都会のお地蔵さん。

 
  渋谷区幡ヶ谷一丁目10番
 
道供養碑

  この道供養費によって、江戸時代の道供養信仰を
 知ることが出来ます。道祖神、地蔵尊などの交通安
 全悪魔退散の呪術的信仰とはちがい、これは橋供養
 と同じように、道路自体を供養して報恩感謝の念を捧
 げることにより、交通安全を祈ろうとする全国でも珍し
 い供養碑です。
  中野通りの延長は鎌倉道の一部で、この道供養碑
 はもとそれに面してたてられていて、鎌倉道の供養碑
 であったことがわかります。
  なお、甲州街道に中野通りが交わるこの辺りは、
 地形が少し低くなっていて、江戸時代から牛ヶ窪と
 呼ばれており幡ヶ谷地域の農民が雨乞行事を行う
 場所でした。
                東京都渋谷区教育委員会

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笹塚の信号は、中野通りとの交差点。京王線笹塚駅がちょうど真ん中で、大原の信号へ
進みます。ここは
環七通りとの交差点です。笹塚から大原までは、約1km。
大原の交差点手前77mで渋谷区は終わり、この先は甲州街道の右側が
杉並区
左側が
世田谷区になります。渋谷区は新宿南口大ガード手前左からなので
4150mほどお邪魔した計算になります。
大原の交差点から144m。甲州街道左側に突然緑の多い小川が現れました。
これが、羽村から四谷大木戸まで流れていた
玉川上水です。現在この辺りでは、
覆外を施し、緑道となっている部分が多い中、この自然の景観は非常に貴重でしょう。
玉川上水は43kmあり、多摩川の羽村から久我山二丁目の浅間橋までの30kmは
開渠になっていてその景観を楽しむことが出来ますが、そこから大木戸までの13km区間は
ここ代田橋が158m、笹塚駅南西区間が201m、南東区間が200mと非常に少なく、
甲州街道を歩いていて見られるのは、ここが最初で最後になります。

甲州街道の右側に突然現れた不思議な横断幕。沖縄タウンと書いてあります。
これは杉並和泉明店街で、平成17年3月にオープンしたばかりの商店街おこし。
杉並区には沖縄の学者さんが多く、そのため沖縄の人が多く住んでいるとのことで
都会の人が出会ったことのない沖縄の発見&体感できる街
コンセプトに始めたそうです。面白そうなので、是非訪れて見たい商店街です。