甲州道中(甲州街道)〜日本橋〜


ボクたちが歩く中山道のパパは、ボクたちを置いて甲州道中の旅へ出発です。
国道歩きが多く、バギーを卒業したチビさんには甲州道中は危険かな?
一足先に、パパが歩いてみるから、大きくなってから挑戦しよう。
今回は、誰でもこのサイトを見た人は歩けるように、写真と地図を用意しました。
特に、地図はクリックすると、PDF版の印刷用がダウンロードできます。
中山道の時も、多くの方に「ボクたちの地図」片手に歩いていただきましたが、
縮尺がディフォルメされていたので、歩きづらいとのご意見もあり、今回は、
定縮尺で実用的な地図を作ってみました。また、この地図片手に歩いてみてください。


甲州道中 地図 日本橋
    地図をクリックで印刷用A4版PDFダウンロード
 国指定重要文化財

  日本橋
                               所在地 中央区 日本橋一丁目 日本橋室町一丁目

  日本橋が初めて架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長八年(1603)と伝えられています。
 幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する
 点として江戸経済の中心となっていました。橋詰めには高札場があり、魚河岸があったことでも有名です。
 幕末の様子は、安藤広重の錦絵でも知られています。
  現在の日本橋は東京市により、石造二連アーチの道路橋として明治四十四年に完成しました。
 橋銘は第十五代将軍徳川慶喜の筆によるもので、青銅の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、
 獅子は守護を表しています。橋の中央にある日本国道路元標は、昭和四十二年に都電の廃止に伴い
 道路整備が行われたのを契機に、同四十七年に柱からプレートに変更されました。プレートの文字は
 当時の総理大臣佐藤栄作の筆によるものです。
  平成十年に照明灯装飾品の修復が行われ、同十一年五月には国の重要文化財に指定されました。
 装飾品の旧部品の一部は中央区が寄贈を受け、大切に保管しています。

 平成十二年三月
                                                  中央区教育委員会
日本橋の麒麟日本の道100選「中央通り」
浅草橋「三浦屋」の観光船日本国道路元標
4回目の日本橋は、少しのんびりと見物してみました。橋の北東には、日本橋魚市場発祥の地
碑があります。関東大震災まではここが東京の魚河岸で、その後築地に移ったとあります。
北西、三越の丸い建物が建っている側には、
東京市道路元標の標柱があり、説明によると
昭和47年まで、道路の中央に立っていました。南東には交番があり、ここは昔、
さらし場跡
南西には、上の日本橋についての説明板があり、昔は高札場でした。
そして現在橋の真ん中には、
日本国道路元標があり、今回もこれを踏んでのスタートです。
北に向かう道が中山道で2001年2月12日、ボクたちが出発しました。
南に向かう道が東海道で、これは1986年12月9日と1997年11月13日、
パパが仲間達と出発した道。今回も仲間達と南へと進路を選びました。
日本橋の南詰から140mで「日本橋」という大きな交差点があります。ここで国道1号線は右折。
旧東海道はそのまま真っ直ぐ国道15号へ進むのですが、甲州街道は1号線の方へ右折します。
大きなビルに囲まれた道を行くと、「
呉服橋」の交差点です。右に大和証券、左に野村証券
ビルを見ながら進めば東京駅北側の大ガードが見えてきます。
江戸通りとの交差点を過ぎれば、ガード下へ歴史を感じさせるレンガ造りのガードです。
ガードをくぐって左に目を向けると、同じくレンガ造りの東京駅も見えてきます。
昔の甲州道中は、この辺りから斜めに和田倉門へ向かっていたようですが、現在は
東京駅に阻まれ進めません。それでもと言う方は八重洲口の自由通路を歩いてみる
というのも方法かもしれません。
ヤン・ヨーステンの像丸の内鉄道記念塔があります。
我々は、そのまま進み、大手町の信号を左折します。ここで時間のある方や興味の
有る方は、大手町の信号を右折し、次の信号を左折すると、
平将門首塚があります。
大手町で国道1号線と共に左折した我々は、右手に皇居のお濠を見ながら進みます。
最初に見えるのが和田倉濠、右手にはパレスホテル。左手に見えて来た橋が、
和田倉橋
レプリカです。この橋を渡ると、和田蔵という大きな蔵が2棟建っていたという説と、家康が
江戸城に入ったとき、この辺りが和田倉という村落であったという説があります。
この橋を渡って皇居外苑に入ると
噴水公園になっています。説明によると、昭和36年に
皇太子殿下御結婚記念大噴水として建設され、平成7年にリニューアルしたそうです。
ここにはレストランや公衆トイレも有るので、ご利用下さい。
皇居や二重橋をご覧になりたい方は、噴水公園から内堀通りを横断し、桔梗門から坂下門を経て
二重橋へ行きます。楠木正成像を見てから馬場先門へ戻っても、桜田門へ向かっても良いでしょう。
我々は、
東京駅の正面に当たる現代の和田倉橋を渡り返し、馬場先濠に沿って国道1号線へ。
和田倉橋の東詰には、昔の見張所を思わせる建造物があります。ここからお濠に沿って
馬場先門へ向かいます。馬場先門の手前には
重要文化財の明治生命館があります。
昭和9年(1934)3年7ヶ月の歳月をかけ竣工しました。設計は、大正時代から昭和初期にかけ
歌舞伎座、ニコライ堂修復、日本銀行小樽支店等を手がけた、東京美術学校教授の
岡田信一郎で、古典主義様式の最高傑作として昭和の建物では初めて重要文化財に
指定されました。またこの建物は終戦後には
アメリカ極東空軍司令部として使用するため
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米、英、中、ソ、4カ国による
対日理事会の会場として使用されてきた歴史があります。土曜日曜日にここを通り
かかった旅人は、11時から17時の間、内部を見学できますので是非ご覧下さい。
馬場先門を通過するとお濠は日比谷濠となり、国道1号線と甲州街道はお濠に沿って日比谷の
交差点を右折します。その交差点手前には
第一生命館が有ります。ここも先ほどの明治生命館の
ように終戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が置かれ
マッカーサーの執務室や
昭和天皇と会見した部屋が当時のまま残されております。
日比谷濠は、祝田橋を過ぎると凱旋濠となり、桜田門へ続きます。左側には旧法務省
レンガ造りの建物や
警視庁の大きなビルが見えてきます。この桜田門で国道1号は左折し
五反田方面へ、そして甲州街道である
国道20号がここから始まります。
桜田門からは正面に国会議事堂が望めます。桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の館は
国会の右、現在の憲政会館の辺りになるので、ここから500mほどの場所でした。
時は、江戸後期の安政7年3月3日(1860年3月24日)、独断での安政五カ国条約調印、将軍継嗣問題
強行、またその反対勢力を安政の大獄で弾圧。藩主の父である徳川斉昭の謹慎で水戸藩は
反発を強め、薩摩藩と連係しクーデターを起こし、登城途中の井伊大老をこの地で暗殺した。
桜田門は小田原街道の起点で、当初柵戸しかなかったが、寛永13年(1636)枡形門に改築し
桜田門と呼ばれるようになった。内桜田門と外桜田門の二重構造で、左の写真にある内門は
渡櫓門で、
桔梗門と呼ばれ、外門である高麗門が単に桜田門と呼ばれています。