大津その2

本丸町は琵琶湖に浮かぶ膳所城の城下,町並みも美しく人々にも気品を感じます。
西ノ庄にある石坐神社は中国から時刻を導入した天智天皇を祀った神社,その碑には
石で出来た時計がはめ込まれています。丸の内町から木下町の響忍寺までの道は,
ガイドブックと,地元の案内図ではルートが違います。ともに響忍寺の前で合流しますが,
どちらが本当の東海道なのかは,昔を知る人に聞くと良いかもしれません。
石座神社を過ぎると,馬場町に入ります。ここは京阪膳所駅にも近く,アクセスは便利に
なってきます。その町にあるのが義仲寺で,入口には次のような看板があり,解説してます。
国指定史跡
義仲寺境内
(大津市馬場1丁目)

義仲寺の名は,源義仲を葬った塚のあるところからきていますが,
室町時代末に,佐々木六角氏が建立したとの伝えがあります。
門を入ると左奥に,俳聖松尾芭蕉の墓と並んで,木曽義仲の
供養塔が立っています。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」
という著名な句は,芭蕉の門人又玄の作です。境内には
この句をはじめ,芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野を
かけめぐる」など多くの句碑があります。また,巴御前を弔う
ために祭ったといわれる巴地蔵堂もあります。

昭和42年11月に国指定の史跡となりました。
大津市教育委員会
平成4年3月
左が,木曽義仲の供養塔。右が芭蕉の墓です。
芭蕉は元禄7年(1694)10月12日午後4時頃,大坂の旅舎で亡くなられた。
享年51歳。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため,その夜,去来,其角,正秀
ら門人十人,遺骸を守り川船に乗せて淀川を上り伏見に至り,十三日午後義仲寺
に入る。十四日葬儀,深夜ここに埋葬した。門人ら焼香者八十人,会葬者三百余人
に及んだ。其角の「芭蕉翁終焉記」に「木曽塚の右に葬る」とあり,今も当時のままである。

義仲寺パンフレットより

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