2000年10月28日

一昔前に「マディソン郡の橋」なんて映画がヒットしましたが,日本ではあまりお目にかかれない,
屋根付きの橋が,土山と水口を結ぶ旧東海道にありました。野洲川の上流,白川と呼ぶのかな。
その近代的な橋に似合わず,橋からの眺めは見事でした。水口までは,特に名所と呼べる場所は
ありませんが,随所に良い景色のところが見られ,旅人の心を癒してくれます。

何故この橋が屋根付きなのか謎ですが,隣の国道の橋を車と一緒に渡るのが
東海道の常識と思っていた我々には,人しか通れないこの橋が痛く気に入り
そして,そこからの川の景色に目を奪われ,しばらくこの橋に佇んでしまいました。
道が,水口近づくと松並木や旧家が目立つようになります。旧道の道幅も
当時のままというような感じになり,低い軒を眺めながら307号線バイパスを
越えれば,そこからが水口です。
今日の行程で,一番の眺めは,ここ水口宿に入る直前の家並み。
低い軒の旧家がS字を描く旧道沿いに静かに並びます。
しかし,ここでも電信柱が非常に気になりました。この素晴らしい
家並みを活かすためには,電力会社も協力して欲しいものです。
国道1号線を横断すれば,水口宿。脇本陣・本陣を左に眺め進むと,
ルートは3本に別れます。10年前は,真ん中のルートを行ったので,
今回は,左のルートへと足を運びました。その最後の分岐が右の写真。
左ルートを進むと「九品山・善福寺」があります。新しい本堂の寺で,別にどうという特徴も
なさそうですが,この寺には凄い歴史がありました。戦国時代,水口を見下ろす城山には,
その名の通り城があり,その城が落城した際,城を構成する材木でこの寺は建てられた
そうです。山門の部材を見ると,なるほど当時の柱と思われる木材が,横になって使われて
いるのが分かります。本堂にお邪魔して,住職に話を聞くと,まず旅の無事を祈願しお経を
唱えてくれます。それから水口城(昔は城山にあった)の話へと進み,最後に落城の際,
切腹した武士達が,座っていたという板の間の木材が,この寺の天井に使われている場所へ
案内していただけるでしょう。京都にもある,あの「血天井」がこの寺にもありました。
写真を撮れさせていただきましたが,あまりにも生々しいのと,亡くなった方に敬意を表して
このサイトに掲載するのをやめました。是非みたい方は,現地へ赴いてください。
水口宿は,土山から来ると3つのルートに別れますが,水口石橋駅付近で全ての道が合流します。
そこには,宿場のモニュメントがあり東海道に取り組んでるなと感じます。
宿場の町水口
天下を握った家康は,慶長6年(1601)東海道を整備し
五十三の宿駅を置いて公用輸送を確立,この時水口も宿駅と
なりました。宿場は町数27,家数718と発展,俳聖芭蕉も
逗留し「命ふたつのなかに生きたる桜かな」の句を残しています。
庶民の旅が盛んとなった江戸時代後期には,40余の旅籠と本陣・
脇本陣があって客引きで賑わいました。
宿場の名物には干瓢・葛細工・煙管・泥鰌汁等があり,夏
の風物詩「かんぴょう干し風景」は歌川広重の浮世絵によっ
て広く世間に知られました。

石部へ