
1998年12月16日

東名高速の「日本坂トンネル」をご存知と思いますが,
そこから,北西に5kmのところに宇津ノ谷峠は有ります。
東名が出来るまでは,皆この峠を越えました。
今でもここには,鎌倉時代から昭和までの,色々な東海道が
ひしめき合っております。
その中から,我々は江戸時代の官道を進んで行きます。
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| 宇津ノ谷の集落を峠に向かいます。 | 途中,この「お羽織屋」へ寄ってみて下さい。 |
東海道宇津ノ谷
お羽織屋 石川家
天正18年3月,小田原の北条氏征伐のため,東海道を下った豊臣秀吉は,
この地に差し掛かり,
石川家の軒下につるしてあった馬の沓に目をとめて
使い古した自分の沓と取り替えようとしました。
ところが,主人は三脚分
しか差し出さなかったので,「馬の脚は4本なのにどう言う訳か」と
尋ねました。「申し上げます,差し上げた三脚分の馬の沓は,道中安全を
お祈り申し上げたものです。
残る一脚分でお戦のご勝利を祈るつもりで
ございます。」「さようか,お前の名はなんと申す」
「忠左ヱ門と申します」「ホホウ,忠義の忠左ヱ門か,シテあれなる山は」「あれは勝山,
その大木は,勝の木と申します」「ナニ,勝山に勝の木か,めでたい,めでたい。戦には必ず
勝って帰るぞ」と,機嫌良く出発しました。
その年の夏,小田原征伐が終わって帰途,
再び石川家に少憩しましたが,あれから半年間忠左ヱ門は,地蔵菩薩に,毎日一つづつ馬の沓を
捧げて,秀吉公の戦の勝利を祈りました。その話を聞いた秀吉は,忠左ヱ門を見て,
「そちの祈願の甲斐あって戦に勝ったぞ,約束の馬の沓は持ち帰るぞ,褒美の品を何なりと
申してみよ」光栄に感激した忠左ヱ門は,言葉も無く頭を下げていると,秀吉はつかつかと縁先に
来て,着用の陣羽織を脱いで忠左ヱ門に与え,茶湯に喉を潤して出発しました。
のちに,徳川家康が,この陣羽織を見て記念に茶碗を贈った他,諸大名やその家来達も拝観に
訪れるものが多く,当家にその芳名録が残されています。

お羽織屋には,裏口から入ります。座敷に上がると秀吉の羽織があり,
由来を語ってもらえます。